東の羽生西の村山とまで言われていた、村山聖さんと言う方(将棋歴浅い為、知りませんでした)
はそんなに強い凄い方だったのですか?
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関西きっての若手実力者でした。
終盤力は物凄く、
「終盤は村山に聞け」
というキャッチフレーズがプロ間で流行りました。
惜しむらくは、いつもネフローゼの病気と向き合っていたので、体調万全で差せた将棋が少なかったこと。
羽生さんは、彼の才能と力をいち早く認めていました。
膀胱ガンで夭逝しましたが、いい棋譜を残しています。
亡くなる少し前は、NHK将棋トーナメントの決勝で羽生さんと対戦。
必勝モードからよもやの頓死でした。
彼の最期の言葉は熱にうなされながらの
7二銀
と聞いています。
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村山九段が亡くなったころは僕はまだ1,2歳なのでよくわかりませんがだいぶ強かったそうですね。
村山聖実戦譜という本があります。これは羽生さんと先崎学さんが対談しているものですがそこまでするくらい強かったってことですよね。
しかも村山さんは子供のときから病気という敵がありながらも30歳まで戦って来たのです。
王将挑戦が1回ありますね。村山九段は。
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mayumayu2408さん、最後の言葉は2七銀ですね。
http://shogi-pineapple.com/bbs/mibbs.cgi?mo=p&fo=pro&tn=0094
病気による不戦敗があったにもかかわらず、羽生、谷川を超える異例の速さで奨励会を抜け、プロになりました。
タイトルも未経験で、記録自体は羽生に遥かに及ばないものの、一流棋士で会ったのは間違いないです。
羽生との戦績は6勝7敗で、その点が高く評価されている由縁でしょうね。
彼を題材にした漫画「聖」の副題は「天才・羽生が恐れた男」ですし。
もし病気が無かったら、もっと華々しい活躍をしていたでしょうね。
もっともその場合、ハングリーさもなかったかもしれませんが。
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